学生時代、心打たれた五つの山

九州育ちにとって北海道は憧れの大地である。高校1年生の夏休み、念願かなって10日間一人で北海道を旅行した。九州から道内に至るまで全て鉄道とユースホステルの貧乏な旅だったが、とても印象的なものだった。摩周湖、襟裳岬、層雲峡、忘れられない風景は数あるけれど、今でも一番強く印象に残っているのは稚内から旭川に向かう、宗谷本線の列車の車窓から一瞬だけ見えた利尻の姿だ。それは言葉を失うほどの強烈な眺めだった。瞬時に胸が締め付けられた。息を呑んでその信じられない景色に目を奪われた時間はわずか十数秒であったと記憶している。摩周湖は1時間眺めた。層雲峡も飽きるまで上を見上げた。しかしわずか一瞬だけであった利尻が今でも脳裏から離れない。そしてその時、利尻は島ではないとはっきりと確信した。それはまぎれもなく海にそびえ立つ山である。しかも日本でも有数の美峰だった。海原の向こうから、大きくそして美しく放たれる青黒い威圧感は本当に見事だった。いつかきっと登る、と心に誓って九州に戻った。
(2002年9月・登頂)

谷川岳・・・・この山の名前を聞くと子供の頃ゾーとしたものだ。新聞に載る遭難・死亡記事はほとんどこの山だった。圧倒的大差で世界一遭難者の多い山・・どれだけもの凄い山なのであろうか、頂上に到達できるのはよほど幸運に恵まれた者だけなのか?とにかく一般の人間には縁の無い山であろうと、遠く九州で勝手に想像していたものだ。

「すごい、凄すぎる。体が震え、心臓が止まりそうになる。」
圧倒的な存在感、その高度・スケール! 悪魔が作ったかと思わせるような壮絶な岩壁、なんと表現すれば良いのかわからないその岩相。
周囲の明るさとは対照的な岩壁の陰湿感が深く脳裏に刻み込まれる。ああ、こんな場所が日本に存在していたのか!ショックで言葉が出ないとはこのことか。(初めて一ノ倉沢を目にして)
98年5月・家族で登頂2000年7月・息子と登頂

私が山に興味を持ち始めたのは、福岡で高校生活を送っている頃だった。と言っても休みのたびに登山に出かけるようなことではなく、日本や世界の名峰と言われる山を、本やテレビで見てそのたびに「へえ、カッコいいなあ〜、凄いなあ〜」と憧れる程度である。その数ある名峰の中でも私が最も憧れを抱いていたのが槍ヶ岳である。本当に槍のように鋭い山容、日本にこのような山があること自体なんとなくうれしい気持ちがして、同時に写真で見る限りとても一般人では決して登れない山であろうと思いこんでいた。何しろ九州には2000mを超える山は皆無、おまけに私の故郷である福岡県の最高峰(当時)は背振山で、その高さは1055mと千メートルをわずかに超える程度である。1000mにも満たない山をヒーヒー言って登っていた私にとって3000mを超える山なんてどんな厳しい行程なのかまるで想像が付くわけが無い。ましてや「槍」のような鋭く尖った岩塊の山である、これはきっと大学の山岳部や登山家と言われる人達の世界の山なんだろう、アプローチに何日もかかり、ロッククライミングの技術と凄まじい体力が必要で、とても一般人なんかが近づける山ではない、そう思いこむのも無理の無いことであった。
2000年8月・息子と登頂

私には13歳ほど離れた山好きの従兄がいて、よく山の話しをした。従兄は同じ会社の仲間達と福岡近郊の山をあちらこちら登っていたようだ。いつだったか初めて購入したカラビナを見せてくれたことがあり、私も初めてそれに触った。何に使うのか全く分からなかったが「カチンカチン」という開閉音がとっても良い音だったことだけ覚えている。鋭い岩山に憧れがあった私が「槍ヶ岳って普通の人じゃムリだよね?」と言うと従兄は「たぶんな・・・遠いしね」。福岡から日本アルプスはまるで外国である。「じゃあ阿蘇の根子岳は?一緒に行かない?」「オレには無理かもなあ・・」
結局その後一緒に山に行くことも無く、従兄はまもなく亡くなってしまった。
普通の人が阿蘇山というと、それはほとんど噴煙を上げる中岳のことか、あるいは最高峰の高岳を指す。しかし私の目を捕らえて離さないのは、ゴツゴツとした異様な姿の根子岳である。私はこの根子岳を見るだけのために、車で仕事先に行くのにわざわざ遠回りしてこの山の周りをぐるりと走ったことがある。近くで見るとその異様さはますます恐ろしげに迫力を増し、なぜか震えが私をおそった。改めて畏敬の念という概念を感じさせる峰である。阿蘇山を遠めに眺めると、見事に仏様が仰向けに横たわっているように見える。根子岳はその仏様の「顔」の部分を担う重要な位置にあるということも、大いに注目すべきだろう。
(未登頂)

私が地上から富士山の実物を見たのは二十歳を過ぎてからのことであった。「地上から」というのは、それ以前に飛行機の上からは一度か二度見たことがあるからであって、しかしそれはまるで模型を見ているようであって決して山を見るという感覚ではなかった。
初めての地上からの富士は大きかった。本当に大きかった。
日本で最も均整のとれた素晴らしい姿形のこの美しい独立峰が、同時に日本の最高峰であるということが今でも不思議でならない。普通「最高峰」なる峰は山脈など山の連なりがだんだん高度を高め、その連なりのひとつのピークが名誉を得るのが普通である。奥穂高(北ア最高峰)しかり、北岳(南アルプス最高峰)しかりである。キリマンジャロを除いてその他の大陸の最高峰は山脈や山群の中にある。富士山はそういった観点でも極めて貴重で稀有な存在なのだ。
やはり富士は日本一の名峰であることに疑いの余地は一遍もない。日本人として生を受けた者が、一度もその山頂を踏まずに一生を終えることは、極めて残念なことに違いない。
(未登頂)